【1月27日】は何の日?イベントや記念日・有名人の誕生日・誕生花・バースデーカラーまとめ

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1月27日は、日本の近代化を象徴する出来事と、世界平和を祈る厳粛な歴史が交差する一日です。

日本では明治時代に国旗のデザインが規格化された日であり、また多くの日本人が海外へ雄飛した日でもあります。

一方で世界に目を向けると、第二次世界大戦中の悲劇的な出来事が終焉に向かった日として、平和への誓いが新たにされる日でもあります。

また、日本で初めて新聞紙上に求婚広告が掲載されたことから、恋愛やプロポーズに関するロマンチックな記念日としても知られています。

歴史的な重みと、未来への希望、そして愛の告白という人間味あふれるエピソードが同居する、非常に奥深い一日と言えるでしょう。

目次

1月27日は何の日?代表的な記念日・イベント

国旗制定記念日

1月27日は、日本の国旗である「日の丸」にとって非常に重要な記念日です。

この記念日は、一般社団法人国旗協会によって制定されました。

由来となったのは、1870年(明治3年)の1月27日に出された太政官布告第57号です。

この布告は「商船規則」に関するもので、日本船であることを示すための旗のデザインや規格が定められました。

それまでも「日の丸」は日本の船印として使用されていましたが、この布告によって初めて寸法や比率が明文化されたのです。

当時の規格では、縦横の比率は7対10と定められていました。

また、赤い丸(日章)の位置は旗の中心から旗竿側に100分の1ずれた位置とされていました。

現在私たちが目にする国旗の規格とは、若干異なっているのが興味深い点です。

現在の国旗は、1999年に施行された「国旗及び国歌に関する法律」に基づき、縦横比は2対3、日章は中心に配置されています。

しかし、明治の初期に日本のシンボルとしての旗が法的に位置づけられたという点で、1月27日は歴史的な転換点といえます。

この日は、国旗の正しい理解と普及を図り、国旗への関心を高めることを目的としています。

求婚の日

1月27日は、日本の恋愛結婚の歴史において画期的な出来事があった日です。

1883年(明治16年)のこの日、日本の新聞紙上で初めての「求婚広告」が掲載されました。

掲載された媒体は、伊勢新聞や三重日報であったと記録されています。

広告主は中尾勝三郎という人物で、彼は死別した妻に代わる新しいパートナーを探していました。

当時の日本は、親や親戚が取り仕切る「お見合い結婚」が一般的であり、個人の意思で配偶者を探すことは極めて稀でした。

そのような時代背景の中で、新聞という公的なメディアを使って堂々とパートナーを募集した行動は、世間に大きな衝撃を与えました。

広告の内容は、自身の年齢や職業、相手に求める条件などを率直に記したものであったと言われています。

この大胆な行動は、当時の人々にとって驚きであると同時に、新しい時代の幕開けを感じさせる出来事でした。

結果として、彼のもとには多くの応募があり、その中から無事に再婚相手を見つけることができたと伝えられています。

このエピソードにちなみ、1月27日はプロポーズや愛の告白を行うのにふさわしい日として「求婚の日」と呼ばれています。

現在では、この日に合わせてプロポーズを計画したり、パートナーへの感謝を伝えたりするカップルも見られます。

1月27日に制定されたすべての記念日・イベント一覧

海外・国際的に定められた記念日

ホロコースト犠牲者を想起する国際デー(International Holocaust Remembrance Day)

2005年の国連総会で採択された国際デーの一つです。

1945年のこの日、ナチス・ドイツのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所がソ連軍によって解放されました。

ホロコーストによる犠牲者を追悼し、将来のジェノサイド(集団殺害)を防止するための教育や啓発を行うことが目的とされています。

アウシュヴィッツ強制収容所の解放(1945年)

1945年1月27日は、人類の歴史における最も暗い影の一つが、終わりを告げ始めた日として記憶されています。

当時、ポーランド南部に位置していたアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺の象徴的な場所でした。

第二次世界大戦の末期、東から進軍してきたソビエト連邦軍(赤軍)の第60軍が、この収容所に到達しました。

兵士たちが目の当たりにしたのは、想像を絶する光景でした。

収容所内には、病気や飢餓で極限まで衰弱した約7,000人の収容者が残されていました。

ナチス・ドイツ軍は撤退の直前、証拠隠滅のためにガス室や焼却炉を破壊し、歩ける状態の収容者を「死の行進」と呼ばれる過酷な移動で西へ連れ去っていました。

しかし、あまりに衰弱していた人々や、子供たちは置き去りにされていたのです。

解放された人々の中には、「アンネの日記」で知られるアンネ・フランクの父、オットー・フランクも含まれていました。

ソ連軍の兵士たちは、生存者たちに食料や医療を提供し、救助活動にあたりました。

この解放のニュースは、ナチスによる残虐行為の全貌を世界に知らしめる決定的な証拠となりました。

収容所内で発見された大量の衣類、髪の毛、眼鏡などは、そこで行われていた組織的な殺戮の規模を物語っていました。

戦後、この日はホロコーストの悲劇を二度と繰り返さないための象徴的な日となりました。

2005年、国際連合はこの日を「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」と定め、世界各地で追悼式典が行われるようになりました。

私たちはこの日、過去の過ちを直視し、人種差別や偏見がもたらす恐ろしい結果について深く考える必要があります。

日本国内で定められた記念日

国旗制定記念日

1870年(明治3年)の太政官布告第57号により、商船が掲げる国旗のデザインが決まったことに由来します。

ハワイ移民出発の日

1885年(明治18年)のこの日、日布移民条約に基づく最初の官約移民がハワイへ向けて出発しました。

第一回官約ハワイ移民の出発(1885年)

明治時代の日本において、海外への集団移民が本格的に始まったことを象徴する出来事が、この日のハワイ移民出発です。

1885年(明治18年)1月27日、横浜港は大勢の人々の熱気と不安、そして希望に包まれていました。

日本政府とハワイ王国(当時)の間で結ばれた条約に基づく、第一回の「官約移民」たちが出航の日を迎えたのです。

彼らが乗り込んだのは、アメリカの太平洋郵船会社の汽船「シティ・オブ・トウキョウ号」でした。

乗船したのは、山口県、広島県、熊本県などを中心とした944名(一説には945名)の人々でした。

当時の日本国内は「松方デフレ」と呼ばれる深刻な不況下にあり、特に農村部は貧困にあえいでいました。

一方、砂糖きびプランテーションの労働力不足に悩んでいたハワイ王国は、勤勉な日本人労働者を強く求めていました。

両者の利害が一致し、日本政府が公式に関与する形での移民が実現したのです。

彼らは「3年働けば故郷に錦を飾れる」という夢を抱き、未知の土地へと旅立ちました。

しかし、現地での生活は決して楽なものではありませんでした。

炎天下での過酷な労働、慣れない生活習慣、言葉の壁など、多くの困難が彼らを待ち受けていました。

厳しい環境の中で、移民たちは互いに助け合い、独自のコミュニティを形成していきました。

彼らが持ち込んだ日本の文化や習慣は、ハワイの文化と融合し、現在のハワイにおける日系人社会の礎となりました。

盆踊りや餅つきといった日本の伝統行事が、今もハワイで大切に受け継がれているのは、彼らの努力の証です。

この「ハワイ移民出発の日」は、日本の国際化の第一歩であり、先人たちの勇気と苦労を偲ぶ重要な日となっています。

その他・民間企業や団体が制定した記念日

求婚の日

1883年(明治16年)に日本初の求婚広告が新聞に掲載されたことにちなみます。

船穂スイートピー記念日

岡山県倉敷市船穂町のJA岡山西船穂町花き部会が制定しました。

船穂町がスイートピーの有数の産地であることから、出荷が最盛期を迎えるこの時期が選ばれました。

日付は「1(いい)27(ふな)穂」という語呂合わせにもなっています。

1月27日に何があった?世界を動かした過去の出来事・事件

1月27日は、文化、科学、政治、そして災害など、多岐にわたる分野で世界に影響を与えた出来事が起きています。

世界・海外の歴史的出来事・事件

パリ和平協定の調印(1973年)

1973年1月27日は、長く泥沼化したベトナム戦争の終結に向けた、決定的な一歩が踏み出された日です。

フランスのパリにおいて、「ベトナムにおける戦争の終結と平和の回復に関する協定(パリ協定)」が調印されました。

この協定に署名したのは、アメリカ合衆国、北ベトナム(ベトナム民主共和国)、南ベトナム(ベトナム共和国)、そして南ベトナム臨時革命政府の4者でした。

協定の内容には、捕虜の交換、国際監視団の設置、そして何よりも重要な「アメリカ軍のベトナムからの完全撤退」が含まれていました。

この協定により、アメリカはベトナム戦争への軍事介入を終了することになりました。

これは、冷戦構造下におけるアメリカの外交政策の大きな転換点であり、アメリカ国内の反戦運動にとっても一つの到達点でした。

協定の発効に伴い、同年3月までにはアメリカ軍の戦闘部隊はベトナムから撤退しました。

この功績により、アメリカのキッシンジャー大統領補佐官と北ベトナムのレ・ドゥク・ト特使にはノーベル平和賞が授与されることになりました(レ・ドゥク・トは辞退)。

しかし、この協定によってベトナムに完全な平和が訪れたわけではありませんでした。

アメリカ軍撤退後も、北ベトナムと南ベトナムの間で戦闘は継続しました。

最終的に戦争が終結するのは、1975年のサイゴン陥落を待たなければなりませんでした。

それでも、1月27日のパリ和平協定は、超大国アメリカが直接的な軍事介入から手を引くことを決定づけたという意味で、現代史における極めて重要な出来事として記録されています。

日本国内の歴史的出来事・事件

人気グループ「嵐」が活動休止を発表(2019年)

2019年(平成31年)1月27日は、日本のエンターテインメント業界、そして多くのファンにとって衝撃的な一日となりました。

国民的人気アイドルグループ「嵐」が、2020年12月31日をもって活動を休止することを発表したのです。

この発表は、ファンクラブサイトを通じて動画で伝えられた後、同日夜にメンバー5人揃っての記者会見が行われました。

リーダーの大野智さんが「一度何事にも縛られず、自由な生活がしてみたい」という思いをメンバーに打ち明けたことがきっかけであると説明されました。

このニュースは瞬く間に日本中を駆け巡り、テレビのニュース番組や号外が出るほどの社会現象となりました。

「嵐」は、CDデビューから20年以上にわたり、音楽、バラエティ、ドラマ、映画と多方面で活躍し続けてきました。

彼らの存在は単なるアイドルを超え、日本のポップカルチャーを象徴するものであったため、活動休止の影響は経済的な側面でも大きく取り上げられました。

記者会見での5人の誠実な言葉や、互いを尊重し合う姿勢は、「嵐らしい」として多くの称賛を集めました。

この発表から活動休止までの約2年間、彼らはファンへの感謝を伝えるために精力的な活動を続けました。

平成の終わりから令和の始まりにかけて、一つの時代を築いたグループの決断として、この日の出来事は多くの人々の記憶に刻まれています。

1月27日が誕生日の有名人:歴史人物から人気芸能人まで

1月27日生まれの有名人は、天才的な音楽家から、現代のドラマや音楽シーンを牽引する若手スターまで、才能豊かな人物が揃っています。

日本国内で生まれた著名人・芸能人

清水ミチコ(1960年):タレント、お笑い芸人

ピアノの弾き語りモノマネで独自の地位を築いた、バラエティ番組に欠かせない存在です。

yasu(1975年):ミュージシャン

ロックバンドJanne Da Arcの元ボーカルであり、ソロプロジェクトAcid Black Cherryとしても絶大な人気を誇ります。

雛形あきこ(1978年):女優、タレント

グラビアアイドルとして一世を風靡した後、バラエティやドラマで幅広く活躍しています。

森山愛子(1985年):演歌歌手

高い歌唱力を持ち、演歌界の若手実力派として親しまれています。

板倉義也(1990年):お笑い芸人

お笑いコンビ「ニッポンの社長」のメンバーとして活躍中です。

穴井千尋(1996年):タレント

アイドルグループHKT48の元メンバーで、キャプテンを務めた経験もあります。

上白石萌音(1998年):女優、歌手

大ヒット映画『君の名は。』での声優や、ドラマ『恋はつづくよどこまでも』の主演などで知られ、透明感のある歌声も魅力です。

海外で生まれた著名人・歴史上の人物

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756年):作曲家

オーストリア生まれの「神童」と称される天才音楽家で、クラシック音楽史上最も重要な人物の一人です。

ルイス・キャロル(1832年):作家、数学者

イギリスの作家で、世界中で愛される児童文学『不思議の国のアリス』の作者として知られています。

ヴィルヘルム2世(1859年):ドイツ皇帝

第一次世界大戦時のドイツ皇帝であり、ドイツ帝国最後の皇帝です。

デイジー・ロウ(1989年):ファッションモデル

イギリス出身の人気モデルで、数々の有名ブランドの顔として活躍しています。

1月27日生まれのアニメキャラ

天王はるか/セーラーウラヌス(『美少女戦士セーラームーン』シリーズ):

風を司る天空の戦士であり、男装の麗人として描かれるクールでカリスマ性のあるキャラクターです。

巴日和(『あんさんぶるスターズ!』):

明るく自由奔放な性格のアイドルで、ユニット「Eve」および「Eden」に所属しています。

成田一仁(『ハイキュー!!』):

烏野高校バレーボール部のミドルブロッカーで、堅実なプレーが持ち味の選手です。

ブーゲンビリア(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』):

アニメ版のオリジナル要素に関連するキャラクターとして設定されています。

1月27日のバースデー情報

誕生日にまつわる花や宝石、色は、その人の性格や運命を象徴するものとして親しまれています。

1月27日の誕生花と花言葉

ナナカマド(七竈)

花言葉は「慎重」「賢明」「私はあなたを見守る」です。

燃えにくく、竈(かまど)に七回入れても燃え残るということから名付けられた木で、赤い実が特徴的です。

その丈夫さや、厳しい冬に実をつける姿から、堅実で思慮深い意味が込められています。

オキナグサ(翁草)

花言葉は「清純な心」「告げられぬ恋」「裏切りの恋」などがあります。

花が終わった後の綿毛が、老人の白髪のように見えることから「翁草」と呼ばれます。

うつむくように咲く姿が、恥じらいや秘めた恋心を連想させます。

プルメリア

花言葉は「気品」「恵まれた人」「日だまり」です。

1月27日がハワイ移民出発の日であることにちなみ、ハワイを象徴する花であるプルメリアが紹介されることが多いです。

甘い香りと美しい姿は、愛と歓迎のシンボルとされています。

1月27日の誕生石と石言葉

アルマンディン・ガーネット

石言葉は「実行力の勝利」「不屈の精神」「真実の愛」です。

ガーネットの中でも特に深い赤色や赤紫色をしているものを指します。

非常に硬度が高く、古代から研磨剤としても使われるほどの強さを持つことから、困難に打ち勝つ力を与えてくれると言われています。

1月27日のバースデーカラーと誕生色

ペールライラック (Pale Lilac)

色言葉は「家庭」「表現力」「気高さ」です。

淡いライラックの花のような、上品で優しい紫色です。

この色を持つ人は、誰からも愛される気品と、豊かな表現力を兼ね備えているとされています。

1月27日は何座?星座情報

1月27日生まれの星座は、水瓶座(みずがめ座)です。

一般的に水瓶座の人は、独創的な発想を持ち、自由を愛する性格だと言われています。

常識にとらわれない広い視野と、博愛精神に富んだヒューマニストな一面を持っています。

知的好奇心が旺盛で、新しい技術や考え方を積極的に取り入れる傾向があります。

【まとめ】1月27日何の日?振り返り

1月27日は、明治時代の国旗制定やハワイ移民の出発など、日本の近代化における重要な節目となった日です。

世界的には、ホロコーストの悲劇を振り返り平和を誓う日として、重い意味を持っています。

また、日本初の求婚広告に由来する「求婚の日」でもあり、大切な人への愛を意識する日としても素敵です。

モーツァルトや上白石萌音さんの誕生日でもあり、芸術的な才能が輝く日とも言えるでしょう。

過去の歴史を学び、未来への希望を描き、そして身近な人への感謝を忘れない、そんな一日にしてみてはいかがでおしょうか。

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