1月30日は、日本の通信インフラにおける大きな転換点となった日です。
かつては時間無制限だった公衆電話の通話に、初めて時間制限が設けられた歴史的な一日として知られています。
また、世界に目を向けると、インド独立の父であるマハトマ・ガンディーが凶弾に倒れた日でもあります。
平和への祈りと、時代の変化を象徴する出来事が重なる、深く考えさせられる一日と言えるでしょう。
さらに、日本の歴史を遡れば、忠臣蔵で知られる赤穂浪士の討ち入りが、現在の暦(グレゴリオ暦)でこの日に行われました。
冬の寒さが厳しい時期ですが、熱い志を持った人々の行動が、歴史のページに刻まれています。
このページでは、1月30日に制定された記念日や、世界を動かした歴史的事件、そしてこの日に生まれた著名人について詳しく解説します。
1月30日は何の日?代表的な記念日・イベント
3分間電話の日
1970年(昭和45年)の1月30日、日本電信電話公社(現:NTT)が公衆電話の市内通話料金を「3分10円」に改定しました。
この出来事は、日本の電話文化における大きな分水嶺となりました。
それまでの公衆電話は、10円を投入すれば市内通話が時間無制限でかけ放題という仕組みでした。
そのため、一度受話器を握ると長時間話し続ける利用者が後を絶たず、緊急時や急用がある人が電話を使えないという問題が頻発していました。
特に駅や繁華街の電話ボックスでは、長電話をする人と順番を待つ人の間でトラブルになることも珍しくありませんでした。
こうした状況を改善し、より多くの人が公平に電話を利用できるようにするために、3分打ち切り制が導入されたのです。
当初は東京都心部から順次実施され、やがて全国へと広がっていきました。
この制度変更により、通話開始から3分が経過すると強制的に通話が切断されるようになりました。
話の途中であっても「プー、プー、プー」という切断音が鳴り響き、通話が終了してしまうのです。
続けて通話をするには、一度切れてから再度10円玉を投入してかけ直す必要がありました(後の黄色い公衆電話の登場で追加投入が可能になります)。
この「3分間」という制約は、人々のコミュニケーションの形にも変化をもたらしました。
要件を簡潔にまとめる習慣がついたり、恋人同士が3分ごとにコインを入れ続ける「継ぎ足し電話」が青春の1ページとなったりしました。
また、カップ麺の待ち時間が3分であることと相まって、「3分間」という単位が日本人にとって馴染み深いものとして定着していった一因とも言われています。
現在ではスマートフォンが普及し、公衆電話を見かける機会は激減しましたが、この日はかつての不便ながらも温かみのあった通信の歴史を振り返る日となっています。
殉教者の日(インド)
1月30日は、インドにとって忘れることのできない悲しみの日であり、国家的な追悼の日となっています。
1948年のこの日、インド独立運動の指導者であり、「建国の父」と称されるマハトマ・ガンディーが暗殺されました。
ガンディーは「非暴力・不服従」を掲げ、イギリスからの独立を勝ち取った偉大な指導者でした。
しかし、独立後のインドは宗教対立による分断という深刻な問題に直面していました。
ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和を説き続けたガンディーの姿勢は、一部の過激なヒンドゥー教徒の反感を買うことになります。
そして1月30日の夕方、ニューデリーで祈りの集会に向かう途中、狂信的なヒンドゥー教徒の青年によって至近距離から銃撃されました。
彼は自らの額に手を当て、イスラム教徒への許しを示す仕草をした後、「ヘー・ラーム(おお、神よ)」という言葉を残して息を引き取ったと伝えられています。
インド政府はこの日を「殉教者の日(Martyrs’ Day)」または「サルボダヤ・デー(Sarvodaya Day)」と定めました。
毎年この日には、インドの大統領や首相をはじめとする政府高官がガンディーの慰霊碑(ラージ・ガート)に献花し、祈りを捧げます。
また、午前11時には全土で2分間の黙祷が捧げられ、サイレンの音が鳴り響きます。
この日は単なる過去の追悼ではなく、ガンディーが説いた「アヒンサ(非暴力)」と「サティヤグラハ(真理の把握)」の精神を再確認する日でもあります。
世界中で紛争が絶えない現代において、暴力に頼らず対話と和解を求めた彼の一生は、今なお人類に大きな問いを投げかけています。
1月30日は、偉大な魂(マハトマ)が地上を去った日であると同時に、その精神が永遠のものとなった日でもあるのです。
1月30日に制定されたすべての記念日・イベント一覧
海外・国際的に定められた記念日
世界顧みられない熱帯病の日(World Neglected Tropical Diseases Day)
WHO(世界保健機関)などが啓発を行う国際デーです。
デング熱や狂犬病など、熱帯地域の貧困層を中心に蔓延する感染症への対策と支援を呼びかけるために制定されました。
殉教者の日(インド)
1948年のマハトマ・ガンディー暗殺に由来します。
インド全土で黙祷が捧げられ、独立のために命を落としたすべての人々を追悼する日となっています。
マハトマ・ガンディー暗殺(1948年)
1948年1月30日、世界中に衝撃を与えるニュースがインドから発信されました。
「非暴力」を貫き通し、インドをイギリス帝国からの独立へと導いた精神的指導者、マハトマ・ガンディーが暗殺されたのです。
当時のインドは、前年に達成された独立の喜びも束の間、インド連邦とパキスタンへの分離独立に伴う宗教対立の激化に苦しんでいました。
ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で血で血を洗う抗争が続き、多くの難民と犠牲者が生まれていました。
ガンディーは78歳という高齢でありながら、両宗教の融和と暴動の鎮静化を訴え、断食(ハンガーストライキ)を含む命がけの活動を行っていました。
彼の訴えにより、カルカッタやデリーでの暴動は一時的に沈静化しましたが、それは同時に過激派の憎悪を煽ることにもなりました。
ヒンドゥー至上主義団体に所属するナチュラム・ゴドセは、ガンディーがイスラム教徒に対して譲歩しすぎていると考え、彼を「裏切り者」と見なして殺害を決意しました。
1月30日の午後5時17分、ニューデリーのビルラー邸で、夕べの祈りの会に出席するために庭を歩いていたガンディーの前に、ゴドセが現れました。
ゴドセは恭しくお辞儀をするふりをして近づき、隠し持っていた拳銃で至近距離から3発の弾丸を発射しました。
弾丸はガンディーの胸と腹部を貫き、彼はその場に崩れ落ちました。
混乱の中で彼は薄れゆく意識を振り絞り、自らの額に手を当てるジェスチャーをしたと言われています。
これはイスラム教の挨拶を意味するものであり、最期の瞬間まで異教徒への寛容と許しを示した行動だと解釈されています。
彼の死を知ったネルー首相は、ラジオを通じて国民に語りかけました。
「光が我々の生活から消え去り、どこもかしこも闇に包まれている」という言葉は、インド国民の喪失感を象徴するものでした。
ガンディーの葬儀には数百万人の民衆が参列し、ガンジス川に遺灰が流されました。
しかし、暴力によって彼の肉体は滅びましたが、彼が遺した「非暴力不服従」の精神は死にませんでした。
その思想は後に、アメリカのキング牧師による公民権運動や、南アフリカのマンデラ大統領による反アパルトヘイト運動など、世界中の人権闘争に多大な影響を与え続けています。
1月30日は、ひとりの偉人が倒れた悲劇の日であると同時に、その魂が世界の人々の心に永遠に刻まれた日でもあるのです。
日本国内で定められた記念日
3分間電話の日
1970年、公衆電話の市内通話料金が3分10円に設定されたことを記念しています。
長電話の防止と公衆電話の円滑な利用を目的として導入されました。
孝明天皇祭
1867年1月30日(旧暦慶応2年12月25日)に崩御された第121代・孝明天皇を偲ぶ日です。
現在は宮中祭祀の一つとして執り行われています。
女性医に送るアートの日
女性医師の支援と、医療現場へのアート普及を目指す団体が制定しました。
1月30日が女性医師の先駆けとなる歴史的な出来事に関連しているわけではありませんが、活動の節目として設定されています。
赤穂浪士の討ち入り(1703年・新暦)
日本の時代劇や歌舞伎で最も愛されている演目の一つ、「忠臣蔵」。
そのクライマックスである赤穂浪士の討ち入りが決行されたのは、元禄15年12月14日のことでした。
しかし、これを現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に換算すると、1703年の1月30日にあたります。
旧暦の12月中旬は、現在の暦では1月下旬から2月上旬の、一年で最も寒さが厳しい時期に重なります。
物語の中で描かれる「降りしきる雪の中での討ち入り」という情景は、新暦の1月30日という日付を見ると、より現実的な寒さとして感じられるのではないでしょうか。
事件の発端は、1701年(元禄14年)に江戸城松の廊下で起きた、浅野内匠頭による吉良上野介への刃傷沙汰でした。
喧嘩両成敗が武家の習わしであったにもかかわらず、浅野内匠頭は即日切腹、お家は断絶という厳しい処分を受けました。
一方で、吉良上野介には何のお咎めもなかったことが、赤穂藩士たちの怒りに火をつけました。
筆頭家老の大石内蔵助を中心とする47人の浪士たちは、1年10ヶ月に及ぶ潜伏と準備の期間を経て、主君の無念を晴らすべく立ち上がりました。
1月30日の未明、彼らは本所松坂町にあった吉良邸を急襲しました。
当日の江戸には雪が積もっていたと伝えられており、静寂を破る山鹿流陣太鼓の音が響き渡りました(実際には太鼓は叩かれていないという説もありますが、物語としては欠かせない要素です)。
激しい斬り合いの末、浪士たちは炭小屋に隠れていた吉良上野介を発見し、見事に主君の仇を討ち取りました。
その後、彼らは吉良の首を掲げて泉岳寺へと行進し、主君の墓前に報告を行いました。
この事件は当時の江戸庶民を熱狂させ、すぐさま歌舞伎や浄瑠璃の題材となりました。
幕府の裁定により、浪士たちは後に切腹を命じられますが、その忠義は「武士の鑑」として称賛されました。
現在でも12月14日には各地で義士祭が行われますが、気象学的な季節感で言えば、1月30日こそが「討ち入りの日」の空気を最も体感できる日なのかもしれません。
凍てつくような寒さの中で義を貫いた男たちのドラマは、300年以上経った今もなお、日本人の琴線に触れ続けています。
その他・民間企業や団体が制定した記念日
みその日
「み(3)そ(30で末尾が0)」の語呂合わせから、毎月30日は味噌の日とされています。
全国味噌工業協同組合連合会が制定し、味噌の健康効果や伝統的な食文化を見直す日としてPRしています。
EPAの日
日本水産株式会社が制定しました。
毎月29日が「肉の日」であることに続き、その翌日である30日に魚に含まれる栄養素EPA(エイコサペンタエン酸)を摂取し、バランスの良い食生活を送ってほしいという願いが込められています。
おからのお菓子の日
おからを活用した食品を開発する企業が制定しました。
毎月30日を記念日とし、おからのヘルシーさと美味しさを広める活動を行っています。
吉村家・家系ラーメンの誕生(1974年頃)
記念日として正式登録されているわけではありませんが、日本のラーメン文化において重要な出来事がこの日に関連しています。
濃厚な豚骨醤油スープと太い麺が特徴の「横浜家系ラーメン」。
その元祖であり総本山と呼ばれる「吉村家」が、1974年のこの時期に創業したと言われています(正確な日付については諸説ありますが、1月中の出来事として語られることが多いです)。
創業者である吉村実氏が、長距離トラックの運転手時代に「九州の豚骨と東京の醤油を混ぜたら美味いのではないか」と思いついたのが全ての始まりでした。
磯子区の産業道路沿いにオープンした小さな店は、やがて中毒性の高い味わいで労働者や学生を虜にしていきました。
その後、多くの弟子たちが独立し、「〇〇家」という屋号を掲げて全国に広がっていきました。
現在では日本を代表する食文化の一つとなった家系ラーメンですが、その原点がこの冬の時期にあったことを思い出しながら、熱い一杯をすするのも良いかもしれません。
1月30日に何があった?世界を動かした過去の出来事・事件
1月30日は、世界史において「体制の崩壊」や「新たな権力の誕生」を象徴する出来事が集中している特異日です。
イギリスでは国王が処刑され、ドイツでは独裁政権が誕生し、日本では江戸城明け渡しのきっかけとなる重要な会談への布石が打たれました。
世界・海外の歴史的出来事・事件
チャールズ1世の処刑(1649年)
イギリスの清教徒革命(ピューリタン革命)において、国王チャールズ1世が処刑されたのがこの日です。
王権神授説を信奉し、議会と対立を続けた国王は、オリバー・クロムウェル率いる議会派に敗北しました。
現職の国王が裁判にかけられ、公開処刑されるという前代未聞の出来事は、ヨーロッパ中の王室を震え上がらせました。
これによりイギリスは一時的に王政を廃止し、共和制へと移行することになります。
日英同盟の締結(1902年)
ロンドンの外務省において、日本とイギリスの間で軍事同盟が調印されました。
当時、「光栄ある孤立」を誇っていた大英帝国が、アジアの新興国である日本と同盟を結んだことは、世界的なニュースとなりました。
この同盟は、ロシアの南下政策に対抗するという共通の利害に基づくものでした。
日本にとっては国際的地位を飛躍的に高めるきっかけとなり、後の日露戦争における勝利の遠因ともなりました。
ヒトラー内閣の成立(1933年)
1933年1月30日、ドイツの歴史、ひいては世界の運命を決定づける出来事が起こりました。
パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領が、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)の党首アドルフ・ヒトラーを首相に任命したのです。
当時のドイツは、第一次世界大戦の敗戦による賠償金や世界恐慌の影響で、深刻な経済危機と社会不安の中にありました。
議会制民主主義の機能不全に失望していた国民の多くは、強い指導力をアピールするヒトラーに希望を託しました。
首相就任の夜、ナチスの突撃隊は松明を掲げてベルリン市内を行進し、新時代の到来を熱狂的に祝いました。
しかし、これは民主的なワイマール共和国の終焉と、全体主義的な「第三帝国」の始まりを意味していました。
ヒトラーは就任後まもなく全権委任法を成立させ、独裁体制を確立していきます。
そして世界は、第二次世界大戦とホロコーストという未曾有の悲劇へと突き進んでいくことになりました。
1月30日は、民主主義がいかに脆く、そして合法的に独裁を生み出し得るかという教訓を、現代に伝える日でもあります。
ビートルズ「ルーフトップ・コンサート」(1969年)
イギリス・ロンドンのアップル・コア本社の屋上で、ザ・ビートルズによるゲリラライブが行われました。
冷たい風が吹く冬の空の下、彼らは「ゲット・バック」などを演奏しました。
これが4人揃っての最後の公の場での演奏となり、伝説的なパフォーマンスとして語り継がれています。
WHOが新型コロナで緊急事態宣言(2020年)
世界保健機関(WHO)が、中国で発生していた新型コロナウイルス感染症について、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」を宣言しました。
この時点ではまだ世界的なパンデミックに至る前の段階でしたが、この宣言により世界各国は防疫体制の強化を迫られることになりました。
私たちの生活が一変する、長い戦いの始まりを告げる日となりました。
日本国内の歴史的出来事・事件
孝明天皇の崩御(1867年)
幕末の動乱期、第121代天皇である孝明天皇が36歳の若さで崩御しました。
外国嫌いで攘夷を強く望みながらも、幕府との協調(公武合体)を目指していた天皇の死は、政治情勢を一変させました。
これにより倒幕派の勢いが増し、明治維新への流れが決定的なものとなりました。
死因については天然痘とされていますが、あまりに急な死であったため、当時から毒殺説などの陰謀論が囁かれ続けています。
藤子不二雄コンビ解消(1988年)
『ドラえもん』や『オバケのQ太郎』など数々の名作を生み出した漫画家コンビ、藤子不二雄がコンビ解消を発表しました。
長年にわたり二人三脚で活動してきましたが、作風の違いやそれぞれの創作意欲の変化により、円満に独立する道を選びました。
以降、藤子・F・不二雄と藤子不二雄Aとして、それぞれの個性を活かした作品を世に送り出し続けました。
1月30日が誕生日の有名人:歴史人物から人気芸能人まで
1月30日生まれの人物は、独自の感性と強い信念を持ち、時代を切り拓くパイオニアとしての資質を持つ人が多い傾向にあります。
日本国内で生まれた著名人・芸能人
勝海舟(1823年):幕臣・政治家
幕末の動乱期に活躍し、西郷隆盛との会談で江戸城無血開城を実現させた立役者です。
長谷川町子(1920年):漫画家
国民的アニメ『サザエさん』の原作者として知られ、日本初の女性プロ漫画家の一人です。
石川さゆり(1958年):歌手
「津軽海峡・冬景色」や「天城越え」など、日本の心に残る数々の名曲を歌い上げる演歌界の女王です。
佐々木蔵之介(1968年):俳優
舞台出身の確かな演技力で、シリアスからコメディまで幅広く演じ分ける実力派俳優です。
加藤紀子(1973年):タレント・女優
バラエティ番組などで活躍し、親しみやすいキャラクターで人気を博しました。
吉村由美(1975年):歌手
女性ボーカルデュオ「PUFFY」のメンバーとしてデビューし、自然体のスタイルで一世を風靡しました。
松本利夫(MATSU)(1975年):パフォーマー
EXILEの創設メンバーの一人であり、勇退後は俳優や司会者としても活動しています。
板倉俊之(1978年):お笑い芸人
お笑いコンビ「インパルス」のボケ担当。小説家としても活動し、多才な才能を発揮しています。
きゃりーぱみゅぱみゅ(1993年):歌手・モデル
原宿の「カワイイ」カルチャーを世界に発信し、独創的なファッションと音楽で国際的な人気を誇ります。
岩佐美咲(1995年):演歌歌手
アイドルグループAKB48から演歌歌手へと転身し、若手実力派として活躍しています。
清原果耶(2002年):女優
NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』でヒロインを務めるなど、透明感のある演技で注目を集める若手女優です。
海外で生まれた著名人・歴史上の人物
フランクリン・ルーズベルト(1882年):第32代アメリカ大統領
ニューディール政策を実施して世界恐慌からの復興を指導し、第二次世界大戦中のアメリカを率いました。
ジーン・ハックマン(1930年):俳優
『フレンチ・コネクション』でアカデミー主演男優賞を受賞するなど、ハリウッドを代表する名優です。
フィル・コリンズ(1951年):ミュージシャン
ジェネシスのドラマー兼ボーカルとして、またソロアーティストとしても数々のヒット曲を生み出しました。
クリスチャン・ベール(1974年):俳優
『ダークナイト』シリーズのバットマン役などで知られ、役作りのために肉体改造を行うストイックな姿勢で有名です。
1月30日生まれのアニメキャラ
吉良吉影(『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』)
平穏な生活を望みながらも連続殺人を犯す、シリーズ屈指の印象的な悪役キャラクターです。
巡音ルカ(ボーカロイド)
初音ミクに続くバーチャル・シンガーとして登場し、大人っぽい歌声とバイリンガル機能で人気を集めました。
佐藤マサオ(『クレヨンしんちゃん』)
しんのすけの友達で、泣き虫でおにぎり頭が特徴の「かすかべ防衛隊」隊員です。
水笙(『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』)
物語の舞台となる秩父に住む、主人公たちの同級生キャラクターです。
エルド・ジン(『進撃の巨人』)
調査兵団特別作戦班(リヴァイ班)の所属で、落ち着いた判断力を持つ熟練の兵士です。
1月30日のバースデー情報
1月30日生まれの人に贈るのにふさわしい、誕生花や誕生石、ラッキーカラーをご紹介します。
1月30日の誕生花と花言葉
ムスカリ
ブドウの房のような青紫色の小花を咲かせる球根植物です。
花言葉は「失望」「失意」という少し悲しい意味が有名ですが、これは紫色の悲劇的なイメージから来ています。
しかし、ヨーロッパでは「明るい未来」や「通じ合う心」といったポジティブな意味も持たれており、春を告げる喜びの花でもあります。
プリムラ(ジュリアン)
冬から春にかけて色鮮やかな花を咲かせます。
花言葉は「青春の恋」「永続する愛情」。
寒さの中で健気に咲く姿が、若々しくひたむきな恋心を連想させます。
マッシュ(コーンサラダ)
サラダとして食べられるハーブの一種です。
花言葉は「粘り強い性格」。
厳しい冬の環境でも育つ強さに由来しています。
1月30日の誕生石と石言葉
パーティ・カラード・フローライト
一つの石の中に、紫、緑、青など複数の色が層のように重なり合っている蛍石(フローライト)です。
石言葉は「過去と未来」「調和」。
多様な色が共存する様子から、物事の多面性を理解し、バランスを取る力を与えてくれると言われています。
ガーネット
1月全体の誕生石であり、深紅の輝きが特徴です。
石言葉は「真実」「友愛」「忠実」。
努力を実らせ、勝利へと導くパワーストーンとしても知られています。
1月30日のバースデーカラーと誕生色
メドウグリーン(Meadow Green)
カラーコード:#62AC4B
春の牧草地を思わせる、明るく鮮やかな緑色です。
色言葉は「情感」「激しい気性」。
この色を持つ人は、感性を磨き続け、目標に向かって努力を惜しまない情熱的なタイプだと言われています。
1月30日は何座?星座情報
1月30日生まれの星座は、水瓶座(みずがめ座)です。
1月20日から2月18日までの期間に生まれた人が該当します。
水瓶座の人は、常識にとらわれない独創的な発想と、誰に対しても平等に接する博愛精神を持っていると言われています。
論理的で知的好奇心が旺盛な一方、束縛を嫌い、自由を愛する傾向があります。
【まとめ】1月30日何の日?振り返り
1月30日は、「3分間電話の日」に見られるような、私たちの生活に身近なルールの転換点でした。
また、世界史においては「ガンディー暗殺」や「ヒトラー内閣成立」といった、その後の世界のあり方を大きく変える重大事件が起きた日でもあります。
日本の「赤穂浪士討ち入り」も、暦の上ではこの日の出来事であり、冬の寒さとともに記憶されるべき歴史の一ページです。
この日に生まれた勝海舟やきゃりーぱみゅぱみゅのように、1月30日生まれには既存の枠組みを超えて新しい価値観を創造する人物が多いのも印象的です。
通信の歴史に思いを馳せたり、平和や民主主義について考えたりと、多様な視点で話題にできる一日と言えるでしょう。