3月12日は、世界史における大きな転換点と、日本の生活文化に深く関わる記念日が制定されている特別な一日です。
この日の代表的な記念日としては、ハンバーガーチェーンの創業に由来する「モスの日」と、金運や日々の消費行動に意識を向ける「サイフの日」が挙げられます。
特に「モスの日」は、1973年に日本のハンバーガー文化の黎明期を飾った重要な出来事です。
また、過去を振り返ると、1947年の「トルーマン・ドクトリン」発表や、1938年のナチス・ドイツによるオーストリア併合といった、歴史の潮目が変わる出来事がこの日に集中しています。
ここでは、3月12日を象徴する、特に重要性の高い記念日について詳しく解説します。
3月12日は何の日?代表的な記念日・イベント
モスの日
モスの日は、日本の大手ハンバーガーチェーンであるモスバーガーの創業にちなんで制定された記念日です。
株式会社モスフードサービスが、創業の翌年となる1973年3月12日に、東京都板橋区成増に最初の実験店舗をオープンしたことに由来します。
当時、日本における本格的なハンバーガーチェーンの展開はまだ珍しく、この1号店のオープンは、その後の日本の食文化、特に外食産業に大きな影響を与える一歩となりました。
モスバーガーは、日本の消費者の嗜好に合わせた独自の商品開発を行い、特に「テリヤキバーガー」など、今では定番となっているメニューを生み出しました。
同社は、創業者である櫻田慧氏の「日本人の心と文化を大切にする」という理念のもと、地域に根差した店舗運営と高品質な食材の使用にこだわり続けています。
モスの日は、モスバーガーが歩んできた歴史と、日本の外食産業における革新的な挑戦を振り返る日として位置づけられています。
この記念日を通じて、モスバーガーは、顧客への感謝の気持ちを表すとともに、創業当時のチャレンジ精神を再認識する機会としています。
記念日には、しばしば特別なキャンペーンやイベントが実施され、多くのファンに喜びを提供しています。
創業から半世紀以上が経過した現在も、モスバーガーは国内だけでなく海外にも進出し、その独自の味とサービスで愛され続けています。
この3月12日は、単なる企業の記念日ではなく、日本のファストフードの歴史における重要なマイルストーンとして記憶されています。
「モスの日」は、私たちにとって身近な食の歴史を考える上で、非常に意義深い一日だと言えるでしょう。
サイフの日
サイフの日は、財布を大切に扱い、お金との付き合い方を見直すきっかけを提供するために制定されました。
日付は、「サ(3)イ(1)フ(2)」という日本語の語呂合わせに基づいて選ばれています。
この記念日の背景には、財布は単に金銭を収納する道具ではなく、金運を司る象徴的な存在であるという考え方があります。
近年、キャッシュレス化が進む中でも、財布は個人の資産や金銭感覚を映し出す鏡のような役割を持ち続けています。
この日には、古い財布を整理したり、新しい財布に替えたりといった、金運向上に繋がるとされる行動が推奨されます。
財布の中を整理整頓し、不要なレシートや期限切れのカードを取り除くことは、単なる片付けではなく、自身の消費行動を反省し、計画的なお金の使い方を意識する機会となります。
また、財布を丁寧に扱うことは、持ち主の経済的な意識の高さを示すとも言われています。
この記念日は、金運上昇を願うだけでなく、日々の浪費を見直し、感謝の気持ちを持ってお金を循環させることの重要性を思い出させてくれます。
風水や占いなどでも、財布の色や使い始めの日に関する様々な説があり、この日に合わせて財布に関する情報が発信されることも多いです。
サイフの日は、春の訪れとともに、心機一転、金銭管理に対する意識を高め、より豊かな生活を目指すための小さなきっかけを与えてくれるでしょう。
私たちはこの日を利用して、日頃から頑張っている自分自身や、いつもお金を守ってくれている財布に感謝を伝えるのも良いかもしれません。
制定の背景にある語呂合わせは、この記念日を人々に親しみやすくしている要因の一つです。
3月12日に制定されたすべての記念日・イベント一覧
海外・国際的に定められた記念日
世界緑内障デー(World Glaucoma Day)
毎年3月第2週の木曜日を含む一週間を「世界緑内障週間」としており、その一環として、緑内障の啓発を目的として設定されています。
緑内障は失明原因の上位を占める疾患であり、早期発見と治療の重要性を世界中に訴える活動が展開されます。
3月12日が世界緑内障週間の一日となる場合もありますが、日付固定の国際デーではありません。
日本国内で定められた記念日
モスの日
株式会社モスフードサービスが制定。1973年3月12日に、東京都板橋区成増にモスバーガーの1号店が実験的にオープンしたことに由来します。
サイフの日
「サ(3)イ(1)フ(2)」の語呂合わせから、財布を大切に扱い、金運アップを願う日として制定されました。
その他・民間企業や団体が制定した記念日
スイーツの日
製菓メーカーの株式会社栄太郎が制定しました。
日付は「ス(3)イ(1)ーツ(2)」という語呂合わせによるものです。
この記念日を通じて、スイーツの魅力をより多くの人々に伝え、楽しんでもらうことを目的としています。
特に春の始まりに甘いものを楽しむ習慣を広げる狙いがあります。
3月12日に何があった?世界を動かした過去の出来事・事件
3月12日という日付は、国際政治や軍事史において、後世にまで影響を及ぼす決定的な出来事が集中した日として特筆されます。
特に第二次世界大戦終結後、東西冷戦の幕開けを象徴する出来事や、戦前のヨーロッパにおけるファシズムの台頭を決定づける事件が、この日に発生しています。
ここでは、世界と日本国内で起こった歴史的出来事について、詳細な背景とともに掘り下げていきます。
世界・海外の歴史的出来事・事件
トルーマン・ドクトリンの発表(1947年)
1947年3月12日、アメリカ合衆国のハリー・S・トルーマン大統領は、合同議会で歴史的な演説を行いました。
この演説で、彼は「トルーマン・ドクトリン(トルーマン主義)」と呼ばれる外交政策を発表しました。
このドクトリンは、ソビエト連邦(ソ連)を中心とする共産主義の勢力拡大を防ぐための政策として、特にギリシャとトルコへの軍事・経済援助の必要性を強く訴えるものでした。
発表の背景と目的
第二次世界大戦終結後、イギリスは経済的な疲弊から、長年支配下に置いていたギリシャとトルコへの援助継続が困難となりました。
この状況下で、ギリシャでは共産ゲリラとの内戦が激化し、トルコはソ連から戦略的に重要なダーダネルス海峡の権益を巡って圧力を受けていました。
アメリカは、これらの国々が共産主義の影響下に入ることを防ぐため、イギリスに代わって「自由主義陣営」を支援する必要性を認識しました。
トルーマン大統領は演説で、「武装した少数派による征服、あるいは外部からの圧力に抵抗する自由な人民を支援する」という原則を掲げました。
これは、ソ連の封じ込め(Containment)を目的としたアメリカの外交政策の基本方針となり、以降数十年にわたる冷戦(Cold War)の幕開けを象徴する出来事となりました。
冷戦の起点としての意義
トルーマン・ドクトリンの発表は、国際政治におけるアメリカの役割を大きく転換させました。
それまでの孤立主義的な傾向を捨て、自由主義と民主主義を守るために世界各地で積極的に介入するという、新たな外交姿勢を打ち出したのです。
このドクトリンに基づき、アメリカはギリシャとトルコに大規模な援助を提供し、両国の共産主義化を防ぐことに成功しました。
その後、この「封じ込め政策」は、翌年の「マーシャル・プラン」(ヨーロッパ経済復興支援)や北大西洋条約機構(NATO)の結成へと発展していきます。
3月12日は、第二次世界大戦後の世界の二極化、すなわちアメリカ主導の西側陣営とソ連主導の東側陣営の対立構造が明確になった、歴史上極めて重要な日付と言えます。
ナチス・ドイツによるオーストリア併合(アンシュルス)(1938年)
1938年3月12日、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツは、隣国オーストリアへの軍事侵攻を開始し、その日のうちに全土を併合しました。
この出来事はアンシュルス(Anschluss、合邦)として知られています。
併合までの経緯
アンシュルスは、ヒトラーが幼少期を過ごしたオーストリアとドイツの統一を長年追求してきた結果でした。
第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約およびサン=ジェルマン条約では、ドイツとオーストリアの合邦は厳しく禁止されていました。
しかし、ヒトラーは、1930年代に入ると、オーストリア国内のナチス勢力を利用して圧力を強めました。
1938年2月には、ヒトラーはオーストリアのシュシュニック首相をベルヒテスガーデンに呼びつけ、オーストリアのナチス党員を内閣に組み入れるよう強要しました。
シュシュニック首相は、国民投票によって合邦の是非を問うことを試みましたが、ヒトラーはこれを阻止するために軍事介入を決断しました。
軍事侵攻と国際社会の反応
1938年3月12日、ナチス・ドイツ国防軍はオーストリア国境を越えて侵攻しました。
オーストリア軍は抵抗せず、ナチスを歓迎する群衆が通りに溢れる中、ドイツ軍はウィーンに入城しました。
ヒトラーは、オーストリアのリンツで、両国の合邦を宣言し、その後、一方的な住民投票を行い、公式にオーストリアをドイツの「オストマルク」として併合しました。
国際社会、特にイギリスとフランスは、この明らかな条約違反に対して有効な対抗措置をとることができませんでした。
これは、後に第二次世界大戦へと繋がるナチス・ドイツの領土拡大政策(宥和政策の失敗)の重要な一環となり、歴史の教訓として語り継がれています。
ガールスカウトの創設(1912年)
1912年3月12日、アメリカ合衆国のジュリエット・ゴードン・ロー(Juliette Gordon Low)によって、ガールスカウト(Girl Scouts of the USA, GSUSA)がジョージア州サバンナで創設されました。
これは、イギリスのボーイスカウト運動に影響を受けたローが、若い女性にも同様の教育と機会を提供したいという強い願いから実現したものです。
創設時の目的は、少女たちに屋外での活動や奉仕活動を通じて、自立心、リーダーシップ、社会性を育むことにありました。
当初の活動は、野外でのキャンプ、応急処置、編み物、料理など、実践的なスキルを学ぶことが中心でした。
ガールスカウト運動は、その後急速にアメリカ全土に広がり、今日では世界最大級の女子青少年育成組織の一つとなっています。
少女たちは、有名なガールスカウトクッキーの販売活動などを通して、ビジネス感覚や資金調達のスキルも身につけています。
3月12日は、少女たちに未来を切り開く力を与える教育運動の始まりとして、重要な意味を持つ日です。
日本国内の歴史的出来事・事件
鉄道国有法の公布(1906年)
1906年(明治39年)3月12日、日本政府は鉄道国有法を公布しました。
この法律は、日本の主要な私設鉄道会社を国が買い上げ、国有化することを目的としていました。
国有化の背景と理由
明治時代、日本の鉄道網は官営鉄道と多数の私鉄によって構成されていました。
しかし、私鉄の乱立は、規格の不統一(レール幅、運行ダイヤ、運賃体系など)や、採算性の低い地域への路線敷設が進まないといった問題を引き起こしていました。
また、日露戦争の経験から、政府は鉄道が軍事的な輸送インフラとして極めて重要であると認識しました。
戦争遂行能力を高め、全国的な均一サービスを提供し、効率的な運営を実現するためには、鉄道を一元的に管理する必要があるとの結論に至ったのです。
これにより、日本鉄道、山陽鉄道、関西鉄道、九州鉄道など、国内の主要な私鉄17社が順次国有化されることとなりました。
国有化がもたらした影響
鉄道国有法による国有化は、日本の鉄道サービスを大きく向上させました。
具体的には、全国的な標準規格の導入、運賃体系の整理統合、さらには列車の速度向上や運行密度の増加などが実現しました。
これにより、日本の経済活動、物流、人々の移動が飛躍的に効率化され、近代日本の経済発展に不可欠な基盤が確立されました。
現在のJRグループの原型となる国鉄(日本国有鉄道)の基礎が築かれたという点で、鉄道国有法は日本の交通史における最も重要な法律の一つです。
名古屋大空襲(1945年)
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)3月12日深夜から翌日にかけて、アメリカ軍のB-29爆撃機による大規模な空襲が、愛知県の名古屋市に対して行われました。
これは、後に「名古屋大空襲」として知られる一連の空襲の中でも、特に激しいものでした。
空襲の目的と被害
この空襲の主要な目的は、名古屋市内に集中していた日本の軍需産業施設、特に航空機製造工場を破壊することでした。
しかし、投下されたのは主に焼夷弾であり、工場だけでなく、周辺の市街地や住宅街も標的となりました。
焼夷弾によって引き起こされた大規模な火災は、木造家屋が密集する市街地を瞬く間に焼き尽くしました。
この空襲により、多数の市民が命を落とし、多くの家屋が焼失するという甚大な被害が発生しました。
多くの犠牲者が発生した背景には、都市機能の麻痺と、避難経路の寸断がありました。
この日の空襲は、戦争の悲惨さと無差別攻撃の非人道性を象徴する出来事として、名古屋市民の記憶に深く刻まれています。
ワシントン海軍軍縮条約の発効(1922年)
1922年(大正11年)3月12日、第一次世界大戦後の国際協調の動きの中で締結されたワシントン海軍軍縮条約が発効しました。
この条約は、1921年から1922年にかけてワシントンで開催された国際会議で、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五大国間で結ばれたものです。
目的は、各国間の建艦競争を抑制し、海軍力を一定の比率に制限することにありました。
特に主力艦(戦艦や航空母艦など)の保有トン数を、米:英:日:仏:伊=5:5:3:1.67:1.67という比率に制限することが規定されました。
この条約により、各国は一部の艦船を廃艦とすることが義務付けられ、日本海軍も保有する艦隊の一部を廃棄することになりました。
この条約は、一時的に国際的な緊張緩和に貢献しましたが、日本国内では「対米英劣位」の比率に対する不満が高まり、後の軍縮条約からの離脱や、軍部の台頭に繋がる一因ともなりました。
3月12日が誕生日の有名人:歴史人物から人気芸能人まで
3月12日は、音楽界、演劇界、スポーツ界など、多岐にわたる分野で活躍する著名人が誕生した日です。
ここでは、日本国内と海外で生まれた、歴史に名を残す人物から現代の人気芸能人までを紹介します。
日本国内で生まれた著名人・芸能人
田中 澄江(1923年):劇作家、作家。演劇の分野で功績を残し、また紀行文「花の百名山」の著者としても知られています。
泉 谷しげる(1937年):歌手、俳優。フォークソングの分野で独自の地位を確立し、俳優としても個性的な役柄を多く演じています。
東海林 さだお(1942年):漫画家、エッセイスト。日常の出来事をユーモラスに描く作風で人気を博しています。
池波 志乃(1952年):女優。父は落語家の十代目金原亭馬生、夫は俳優の中尾彬という芸能一家に育ちました。
小坂 一也(1964年):ミュージシャン。ロックバンド「ザ・ヴィーナス」の元メンバーとして活動しました。
葛山 信吾(1978年):俳優。テレビドラマや特撮番組などで幅広く活躍しています。
尾形 貴弘(1977年):お笑いタレント。お笑いトリオ「パンサー」のメンバーとして知られ、特にお笑い番組で活躍しています。
松田 丈志(1986年):競泳選手。オリンピックで複数のメダルを獲得した、日本の水泳界を代表する選手です。
齊藤 京子(1999年):アイドル。女性アイドルグループ「日向坂46」のメンバーとして活動しており、歌唱力に定評があります。
海外で生まれた著名人・歴史上の人物
ガブリエーレ・ダンヌンツィオ(1863年):イタリアの詩人、作家。退廃的で耽美的な作風で知られる文学者であり、政治活動家としても知られています。
ジョバンニ・アニェッリ(1921年):イタリアの実業家。フィアットグループの会長を務め、イタリア経済界の「キング」とも呼ばれた人物です。
ライザ・ミネリ(1946年):アメリカの女優、歌手。映画『キャバレー』でアカデミー主演女優賞を受賞するなど、ブロードウェイとハリウッドで活躍しました。
スティーブ・ハリス(1956年):イギリスのミュージシャン。ヘヴィメタルバンド「アイアン・メイデン」のベーシスト兼主要なソングライターです。
3月12日生まれのアニメキャラ
3月12日は、特に人気のある学園ものやバトルもの作品の重要なキャラクターたちが誕生日を迎えます。
大石 秀一郎(『テニスの王子様』):青春学園中等部テニス部の副部長。ダブルスの名手であり、部の精神的支柱を担う存在です。
木之本 桜(『カードキャプターさくら』):主人公。明るく前向きな性格で、封印が解かれてしまった「クロウカード」を集める魔法少女です。
志摩 リン(『ゆるキャン△』):主人公の一人。ソロキャンプを好む、冷静沈着で落ち着いた性格の女子高校生です。
日向 ヒナタ(『NARUTO -ナルト-』):忍。内気な性格ながらも、主人公ナルトを深く想い、強くなろうと努力する姿が描かれています。
ミミ(『ポケットモンスター』):ミミロルの進化形であるポケモン。可愛らしい外見と強力な戦闘能力を併せ持ちます。
3月12日のバースデー情報
3月12日生まれの人々は、誕生花、誕生石、そしてバースデーカラーによって、その個性を象徴する特別な意味を持っています。
これらのシンボルは、その日の運勢や性格、さらには人との関係性を読み解く手がかりを与えてくれます。
3月12日の誕生花と花言葉
アネモネ(赤)
3月12日の誕生花の一つはアネモネ、特に赤いアネモネが挙げられます。
アネモネはギリシャ語の「風」を意味する言葉に由来しており、春の風に揺れる姿が愛らしい花です。
赤いアネモネの花言葉は「君を愛す」や「待望」という情熱的なメッセージを持つ一方で、悲劇的な神話から「裏切り」という相反する意味も持ち合わせています。
この二面性が、アネモネの持つミステリアスな魅力を高めています。
エニシダ
もう一つの誕生花として知られるのが、黄色い花を咲かせるエニシダです。
エニシダの花言葉には「謙遜」や「きれい好き」、そして「博愛」といった、控えめながらも心の広さを示す言葉が与えられています。
古くからヨーロッパでは魔除けや掃除道具に使われてきた歴史があり、その清潔なイメージが花言葉にも反映されていると考えられます。
春の野山を彩る明るい黄色は、希望や活力を象徴しています。
スイートピー
スイートピーもこの日の誕生花として有名であり、蝶のような形をした可愛らしい花が特徴です。
花言葉は「門出」や「優しい思い出」、「永遠の喜び」といった、旅立ちや新しい始まりにふさわしい言葉が並びます。
甘い香りを放ち、卒業式などのお祝いのシーンでもよく使用される花です。
3月という季節柄、新たな生活や環境への一歩を踏み出す人へのエールを込めた贈り物としても最適です。
3月12日の誕生石と石言葉
レッド・アベンチュリン
3月12日の誕生石の一つはレッド・アベンチュリンです。
アベンチュリンの中でも、鉄分を多く含み赤みがかった色をしているのが特徴で、キラキラとした光沢(アベンチュレッセンス)を放ちます。
石言葉には「愛の渇望」、「恋のチャンス」、そして「生きる喜び」といった、情熱的で前向きなメッセージが込められています。
この石は、持ち主に活力を与え、積極的に行動する勇気を引き出す力があると信じられています。
また、3月の代表的な誕生石としては、深く澄んだ青色が特徴のアクアマリンや、美しい枝状の有機物であるサンゴも広く知られています。
3月12日のバースデーカラーと誕生色
テラコッタ (Terracotta)
3月12日のバースデーカラーはテラコッタです。
テラコッタは、イタリア語で「焼いた土」を意味し、素焼きの陶器のような、深く温かみのあるオレンジがかった茶色を指します。
この色の持つ色言葉は「情熱」、「活気」、そして「芸術家」です。
テラコッタの色を持つ人は、大地のような安定感を持ちながらも、内面に秘めた情熱とクリエイティブな才能を持っているとされています。
自然素材の温もりを感じさせるこの色は、地に足の着いた生活を送りつつ、芸術的な感性を大切にする人々にふさわしい色です。
3月12日は何座?星座情報
3月12日生まれの人は、うお座(魚座)に属します。
うお座の期間は、一般的に2月19日から3月20日までとされています。
うお座の人々は、感受性が豊かで、夢見がちなロマンチストな一面を持つとされています。
また、人に対して優しく、共感力が高いため、他者の気持ちを深く理解できるという特徴もあります。
その反面、現実と理想の間で揺れ動きやすく、時として優柔不断に見られることもあります。
【まとめ】3月12日何の日?振り返り
3月12日は、ハンバーガーチェーンの礎となった「モスの日」や、金運を意識する「サイフの日」など、日常生活に根ざした記念日が制定されています。
歴史的には、1947年の「トルーマン・ドクトリン」発表という、冷戦の始まりを告げた極めて重要な出来事や、1938年のナチス・ドイツによるオーストリア併合といった、世界を揺るがす事件がこの日に集中していました。
日本国内でも、近代化の基盤を築いた「鉄道国有法」の公布(1906年)など、国の発展に欠かせない決定が行われた日です。
誕生日の有名人には、歌手の泉谷しげる氏や競泳の松田丈志氏、海外では女優のライザ・ミネリ氏などが名を連ね、多彩な才能が集まる一日となっています。
情熱と活気を象徴するバースデーカラー「テラコッタ」のように、3月12日は世界に大きな動きをもたらした歴史と、人々の生活に彩りを与える記念日が交差する、奥深い一日と言えるでしょう。